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■ ジグソーパズルの歴史 ■
1760年頃、イギリスはロンドンの彫刻師及び地図製作者である
ジョン・スピルズベリー(John Spilsbury)によって考案されたと言われています。
彼は1枚の地図を板に貼り、国境の境界線に添ってカットすることで組み合わせ細工として作成しました。
このすばらしいアイデアは、教育現場で受け入れられ、英国の子供たちに地理を教える教材として人気を博しました。
1800年代の初頭まではジグソーパズルは教育の道具としての色彩が強かったようです。
のちに踏み板のこぎりの導入により、より複雑なカットができる様になりました。
ジグソーパズルの名前の由来は、この『糸のこぎり=Jigsaw』から来ています。
現在のような紙製のジグソーパズルが出来たのは、1800年代の終わり頃。ボール紙を利用したジグソーパズルが登場しました。
それまでの木製パズルはかなり高価でしたが、1900年代に入り次第に安価なボール紙製ジグソーパズルが普及していくことになります。
紙製のジグソーパズルは糸のこぎりでの切断では無く、プレートに固定された金属製の抜き型で押し切る形での切断になります。
印刷技術・製造技術も次第に洗練され、大量生産が可能になりました。
子供の教材としてスタートしたジグソーパズルも、1920年代〜30年代になりますと大人向けの絵柄も普及。
より複雑で、より多数のピースに切断されたジグソーパズルが誕生しました。
一種の中毒患者がでるほどのブームも訪れ、娯楽遊具としての地位を築き上げることになりました。
日本では、1970年代に入り次第に輸入されるようになりました。
1974年、名画「モナリザ」の日本公開でモナリザブームが到来。
1973年から輸入された「モナリザ」ジグソーパズルもこのブームによって売れ、
ジグソーパズルの日本での普及の先駆者となりました。

しかし、モナリザ以外の輸入ジグソーパズルは絵柄的にもそれ程日本人に受け入れられませんでした。
そんな中、登場したのが国産ジグソーパズルです。日本の風景が中心でしたが次第に日本市場に浸透していきました。
優秀な日本の技術によって品質、絵柄のバリエーションなど、
日本人の気質にあった商品が世に送り出され、日本でもジグソーブームがやってきました。
ただし、欧米の普及と日本のそれとは明らかに違う現象があったのです。
それは、日本のファンは一度組んで完成されたパズルは奇麗に飾っておきたいということでした。
欧米では繰り返し組んで遊ぶ娯楽として普及したものが、
日本では達成した喜びを部屋に飾って置くというインテリア指向のホビーとして花開いたのです。
日本でのインテリア指向としての普及の陰には、ジグソーパズルをより奇麗に飾る為の専用パネルフレームの登場も忘れてはいけません。
様々なパズルサイズ・色に対応したフレームは、高級な絵画にも引けを取らないような立派なアートとしてジグソーパズルを演出することになりました。
アルミ製のシャープな感覚のもの、落ち着いた雰囲気を演出する木製のもの。
専用パネルの存在は、組み立て時の専用ボードとしても重宝なアイテムとして、日本のジグソーパズル市場では無くてはならない存在になりました。
1980年代後半〜1990年代前半には日本でも一大ブームがやって来ます。
インテリアという観点から、絵柄も最先端の画家・写真家の作品が採用されました。
また、よりファッショナブルに飾りたい欲求から暗がりで光るジグソーなどの人気も爆発しました。
絵画を買うよりも、安いうえに組み上げる楽しさまで与えてくれる。
そんなお買い得感のあるジグソーパズルは、瞬く間に私達の生活空間に溶け込んでいきました。
純粋にパズルとして組む楽しさと出来上がったときの喜び。さらに、お部屋のインテリアとして飾る楽しさ・・・
欧米では、230年の歴史があるジグソーパズルも、日本ではまだ30年程の歴史しかありません。
しかし、日本独自の技術で発展し進化の道を歩み始めました。
老若男女、全ての人々が個々のスタイルで楽しめるのもジグソー
パズルの良いところでしょう。色・形を見、そして考え、指先ではめる。
幼児の教育的効果、老人のボケ防止効果もあると言われています。
また、“一片一片ピースを集めて元の絵に戻す”という作業から心を癒す効果もあるようです。
長時間楽しめて、非常に安価が魅力のジグソーパズル。私達の生活習慣に溶け込んで今後も進化し続けることでしょう。
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